2005-07-01-Friday [長年日記]
_ [日常][仕事]うぅ(涙)
ハチャメチャな講義でも、自分の中では納得のいく筋道・展開にして話している。自分がしゃべるのだから当たり前か。
以前打ち合わせした時に前任者が強く主張していたブツがある。いくら何でも私が扱える範囲を超えた内容なので、聞き流そうかとも思ったが、それはそれで気になる。仕方ないので、自分のストーリーに組み立て直して問題のブツを取り入れることにした。ところが、いくつかネタを集めてストーリーを考えてみたものの、90分もかけてしゃべる内容にはならないし、ましてや学生にそれぞれ考えさせるような問題を投げかけられるものにもならない。もう金曜夜。今週は週末が使えないので今晩がタイムリミット。どうするよ・・・
自分の力でしか解決できないから助けも求められないが、今回ばかりは本当に辛い。切羽詰まると意外に答えが出て来るものだ、希望を持って頑張ろう。
2005-07-13-Wednesday [長年日記]
_ ずいぶん長いことご無沙汰してしまった。箇条書き日記も書けないほど忙しかった。昨日から少し気が楽になったので、過去の日記は少しずつ穴埋めして、また復活しようと思う。
_ [日常]腑抜け
この前の月曜日に春学期最後の講義が終わったら、どっと疲れが出たようだ。というより講義準備がどうしても終わらなくて月曜日は朝6時まで必死こいてたのが響いたみたい。昨日は良い感じで開放感を味わい、それなりに有意義に過したのに、今日はぐったりしてて何もやる気が起きない。もう若くないってことだ。
夕方、美容院へ。
夜は夕食作って、夫のシャツを大量にアイロンかけた。本格的に気が抜けてしまったらしく、頭が停止している上、テレビでやってた「スターウォーズ」さえ見る気力がわかない。せめて日記だけでもと、ここに記しに来た。
A君からおいしそうな生ビール写真の絵葉書で、暑中お見舞いが届いた。ありがとう!
2005-07-14-Thursday [長年日記]
_ [日常]モノが自分を訪れる
寝坊してしまった。就寝した時間を考えると寝過ぎではないけど計画は狂った。
午後あわててN美へ。めちゃめちゃマニア受けの、一般人には何が良いのかほとんど理解不可能という、素晴らしいライナップ。こんな展示二度と見られないかも。(でも実はちゃんと集客も考えられている。)絵の前でうっとりしていたらI先生に呼びかけられた。時間あるなら一緒に見るものがあるという。
時間は無いが折角の機会なのでI先生にくっついてゆく。行った先には、うわー見たこともない面白いものがあって驚いた。想いがあれば、やがてモノの方から自分に近づいてくると多くの方から聞いたことがあるが、本当にそうなんだなあ。私もいつかそうありたいな。
2005-07-18-Monday [長年日記]
_ [趣味][日常]趣味に没頭できるって素晴らしい ‐ヘグムWS
16〜18日の3日間、韓国胡弓のワークショップに参加した。このWSのためにわざわざ韓国から金先生にいらしていただいた。とても熱心な先生で、おかげで密度の濃い連休を過してお腹がいっぱい。先生は何より記録に残せないものを熱く伝えようとしていた。楽譜は無いし、先生が今弾いたものは明日は再現できないかもしれない、だから先生の奏でる音を必死で聞いて、見よう見まねで何とか体に浸透させないといけない。自ずと集中してあっという間に4時間が過ぎる。結局、耳で分かっても自分で再現するには程遠い状態でWSは終わってしまった。初日は逃したが、二日分は録音をとったので今後繰り返し聞いて、実際に見たものと聞いたものの記憶を辿るしかない。録音を取らせてもらえただけでも有り難い。
3日間ともWSが終わるとグッタリ。全エネルギーをヘグムに注いじゃいました。絃を押さえた指の関節が真っ赤になってて、お湯にしみるものだから、水同然のシャワーしか浴びられない。指から血が出るんじゃないかと心配したが、皮って意外に強くて大丈夫だった。左手はもう少しで腱鞘炎になりそうだし、背中はひどく張って痛い。でも痛みが心地よい。仕事疲れと種類が違うよ。
オフの日を趣味に使えるって、なんて幸せなんだろう。いずれは定期的にこんな楽しいオフの日を過せるよう、今は厳しい修業をがんばって乗り越えよう。
2005-07-21-Thursday [長年日記]
_ [日常][趣味]ピアノ練習
久しぶりに実家に行ってピアノの練習をしてきた。週末イベントの伴奏曲を練習し始めると、母は「ライオン(音楽ビアプラザ)に来たみたいだわ♪」とご機嫌の様子。娘のピアノ練習で楽しい気分になってくれるとは、なんて安上がりな母でしょう。
とはいえ母を喜ばせに行った訳じゃないので、一段落ついたところで、9月の「ルイーザ・ミラー通し計画」にむけて、まずは一度全曲通してみることにした。今のところ最初の序曲が最大の問題だが、その後もいやはや通すも何も、つっかえつっかえで全くお話にならない。譜めくりだけは誰かにお願いできるといいのだけど。この企画、皆には「口三味線でもラララでも!」とお誘いしてるが、まさか私がピアノ伴奏から口三味線に切り替える訳にはいかない。あと1ヶ月でどうにかしなくては。
今日は結局4時間近く弾き続けて、帰りはぐったり。ピアノを弾いて疲れたなんて多分初めて。ヘグム講習の後と同じ種類の疲れだ。多分こういう趣味活動から長いこと離れていたので、体まで鈍ってしまったらしい。まずは体力をつけることから始めなくては。それといかにごまかすかを考えよう。
2005-07-22-Friday [長年日記]
_ [日常]自分を褒めてあげたい
午後、N美に講演を聞きに行く。何も考えずに行ったが研究者がわんさか集まっていてほとんど学会状態。背中がひどく痛いので、講演後はマッサージにでも行こうかと思っていたが、I氏に「この後レセプションがあるから手伝って」と言われ、よく分からないまま残ることに。結局手伝う仕事はほとんどなかったのだが、特別に作品を見せて頂く機会が訪れてラッキーだった。ガラスを通さずに見られるなんて、めったにないもんね。
レセプションではバイト元上司に、講義準備でかじったばかりのコンテンポラリーの話をしたところ、専門の立場から興味深いお話を伺うことができて、ここ最近一番の収穫となった。気になっていた謎が一気に解けたのも快感だったが、遠い異分野に感じていた話題を自分から振った上、相手の話にもついていけてる自分にびっくりした。しかも何気なく話したことから、根の深い核心部分をずばり教えて頂けて、もう感激。こんな風に自分の身になるなんて、研究とは全く異なる分野で講義してるとはいえ伊達にやってないじゃん。今日はたまたまストライクゾーンに当たったんだろうけど、興味あること、疑問に感じていることを言葉にして相手に伝えるって、研究者にとって大事な作業だってことも実感。後期もがんばろう。
2005-07-23-Saturday [長年日記]
2005-07-24-Sunday [長年日記]
_ [日常][趣味]村上敏明テノール・コンサート ピアノ仲田淳也
ひの社会教育センターという所で、元は和室だったという部屋の改築を記念したこけら落としのコンサート。客席と舞台がものすごく近くて、一体感は味わえたのは良かったけど、どこを見ればよいのか視線にちょっと困った。歌は日本歌曲がよかったな。
今回、村上さんの歌ももちろん素晴らしかったけれど、仲田さんのピアノが以前よりもパワーアップされていて驚いたし感激した。時には雄大なフルオケに聞こえ、時には雨がしとしと降る音に聞こえて、ピアノでこんなに色々な表現ができるんだと思った。それが村上さんの歌と合っていて素敵だった。折角の演奏だから、どうせならもっと良い楽器で聞きたかった。今後がとても楽しみ。
2005-07-25-Monday [長年日記]
2005-07-28-Thursday [長年日記]
_ [日常]旧友から連絡が来た!
4月末、小学校の友人の名と連絡先をネットで見つけ、本人じゃないかもしれないがメールを出してみた。その後ずっと連絡が来なかったので、やはり同姓同名の他人だったかと諦めていた。
ところが7月4日、"Yes, it\'s me! "となぜか一部文字化けはしてるが、長い英文メールが届いた。そのメールに綴られた内容は本人でなければ書けない話で、他人の詐称ではなさそう。私の母の作ったお稲荷さんがおいしかったなんて話も書いてあり、嬉しいことだ。彼女は今、在イスラエル某国大使館秘書をしている。いつか再会する日が今から待ち遠しい。
_ [日常]私の通った小学校 SIS
父の転勤で小学生の大部分をソウルで過し、ソウルインターナショナルスクール(SIS)に通った。当時ソウルには英語(米語か)の小学校が3つあって、一つは在韓米軍基地内のアメリカンスクール、一つはソウルフォーレンスクール、そしてSISがあった。ソウルフォーレンは英語力の基準が高く、英語を母国語としない者にはハードルが高かった。それに比べてSISは、英語を第二言語とする人のESLプログラムがあり入り口が広く、世界各国の子供達が集まっていた。逆に言えば純粋なアメリカ人(?)は少なかったかも。基本的にアメリカの教育システムだったが、たしか「外国文化」という科目もあり、フィリピンやインドネシア、フランスのことを学んだ記憶があるし、日本について紹介した気もする。(ひょっとしてそれは標準的なアメリカ教育?)そんなワケでSISはアメリカ一辺倒ではなくて、割と国際色豊かだった。
その時のSIS校長は韓国の大ファンで、韓国の民話を英語に訳して出版したり、校舎のあちこちに李朝家具や韓国の民芸品を置いていた。両親は何より校長の考え方に賛同して私をSISに通わせたのだった。ちなみに当時ソウルには中学まで立派な日本人学校があって、ふつう日本人はわざわざ他言語の学校に通うなんて有り得なかった。しかも私は日本人学校からSISに転校した前代未聞の例で、そのことで親はずいぶん周りの日本人から嫌がらせを受けたと後で聞いた。またSISに私を連れて行った初日、校長先生に「帰国後、日本の学校に進学するのは不可能と思って下さい。それでもいいですね?」と聞かれたらしいが、了承したのだからまぁ呑気な親だ。でもSISで触れたことが結果的に今の道につながってるのかと思うと、全然お金にならないくせにお金のかかる道でトホホだけど、面白いと思えるのだからいいのかな。
当時一緒にSISに通った人達も今は世界各国に散らばって、それぞれ活躍しているのだろう。20年ぶりに奇跡的に友人と連絡がとれて感激したので、初めて小学校のことを振り返ってみた。
2005-07-29-Friday [長年日記]
2005-07-31-Sunday [長年日記]
_ [日常]ひたすら仕事
朝、韓国の先生から電話がかかってきた。博物館見学は自分たちでできるから、あなたは夕方まで旅行の準備しなさいと。要は昨夜遅かった上、飲みすぎたため先生方はお疲れだったよう。助かった、突如自分だけのために生じた時間を一分たりとも無駄にしまいと仕事を進める。いきなり押し付けられた翻訳の仕事を・・・。
夜、帰宅してから慌てて仕事の続きにとりかかる。3時過ぎ、5分おきに瞼の重さに耐えられなくなってきて、諦めて布団に入る。
_ 博多っ子 [ブツって何だ?気になる。。。]